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4.スローライフのヒント 〜1.スローライフ/ライフスタイル〜 http://inakalife.net/ |
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『スローライフ−緩急自在のすすめ』 | |
「急」を追求する風潮の中にあって、すすんで「緩」の思考や活動をとり込むことを説く | |
この本は、NPO法人スローライフ・ジャパンの理事もつとめる、有名なニュースキャスター、ジャーナリストの手になるもので、岩波書店の読書誌『図書』への連載文がもとになっている。 本書では、グローバル化やIT革命の進展、9・11テロ以来注目されている世界的な原理主義の潮流、食の貧困や目の輝きを失った日本の子ども、尼崎の列車脱線事故、高齢社会の到来など、日本や世界各地で起こっているさまざまな話題が登場する。この本は、個々の間にさほど脈絡の感じられないさまざまな現象を、ひとりの人間の眼ですばやく捉えてじっくりと分析し、ひとつの「線」で結んでいる。 また、日本や世界のどこかで起こったこと、起こっていることにミクロ的視点で迫り、さらにその場からの視点でマクロ的に日本や世界の全体像を捉え直す、また現在的関心からから過去の像をあぶりだし、その過去の視点から現在の問題をあぶりだすなど、縦横無尽に時空を往復する旅をしているかのような内容展開である。これは、著者自らの豊富な見聞と体験に裏付けられてこその所為に相違ない。また、だからこそ多岐にわたる話題が自然に本書のテーマに収斂していくのだろう。 「急」の風潮の中で単一的な価値観に猛進しているかのような世の大勢にあって、寛容な態度で肩肘張らず、自発的に「緩」の思考・活動を取り込むことを説く、退屈しない「スローライフ」の本である。 |
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『半農半Xという生き方 実践編』 | |
農的暮らしともに取り組む社会的ミッションをテーマとした本 | |
この本は前著『半農半Xという生き方』の続編をなすものである。「半農半X」といういささか抽象的な言葉は、1995年ごろ屋久島在住の作家・翻訳者が地震のライフスタイルを「半農半著」と表現したことに触発された概念だということだ。 本書では特に、この「X」にあたる自分の好きな、かつ社会的ミッションをどうやって見つけ出すかということについて掘り下げれられている。その具体的な内容は、著者自身の「半農」の営みの紹介、著者自身の「半X」の取り組み、「半農半X」のモデルとなる実践者の紹介、「X」を見つけるために実行すべきことの提言などである。 本書でも、古今東西の思想家・文学者その他の書いた文や提示した概念などを随所に引用・紹介して「半農半Xという生き方」の実践が説かれているが、これだけおびただしい引用・紹介をするのであれば、人名だけでなく、参照した文献もきちんと示すべきではないか。それが先哲への表敬であり、この本を読んだ人が、各自の関心にしたがって思索を深めていく道標にもなるだろう。 |
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『スローライフ入門』 | |
時間との意識的な関わり方について深く考えさせられる本 | |
著者は、ロンドン在住のジャーナリストで、この本は現代社会における効率を最優先した「もっと速く!」という志向がもたらす負の側面を浮き彫りにし、世界各国のさまざまな分野で提唱・実践されているスローダウンの運動を概括している。 第1章では、時間と時計を取り上げ、歴史的な見地から、どのようにして人間は時間を厳密に計測し、飽くことなくスピードを追求するようになったかを解説している。ターニング・ポイントは産業革命後の近代化にあるという。計測された時間と「時は金なり」という価値観を所与のものとして認識している私たち現代人には、新鮮味のある内容だ。 第2章では、時間やスピード化の呪縛から抜け出そうとする世界的潮流を概観し、第3章以下では、食品・料理と食事の見直し、都市の喧騒と慌ただしさからの解放、心身機能の疲弊とその回復のためのエクササイズや医療、一瞬の快楽だけではなく親密さや思いやりをはぐくむ性交渉、労働時間や労働効率の問題と主体的な自己管理や休憩・減速化の効用、生活テンポの調整と余暇の楽しみ、急いで詰め込む教育の問題点とスローダウンの効用などを論じる。 以上10章からなる本編を通じて著者が言わんとするところは、人々が幸福に暮らすために、「『すべてのことをもっと速く』ではなくて、『すべてのことをそれにふさわしいスピードで』時には速く。時にはゆっくりと。」(345頁)、自分でそのバランスをとっていくということだ。 「スローライフ」といえば、万事をのんびり・のろのろやるという誤ったイメージとそれへの憧憬や非難が先行しているかの感があるが、決してそうではない。「物事にはスピードアップできないもの、スピードアップしてはいけないものがある。そういったものには成熟するまでの時間、つまり、ゆるやかさ(スローネス)が必要なのだ」(17〜18頁)。含蓄ある言葉だと思う。 |
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『半農半Xという生き方』 | |
自給的農業と社会的起業に生きるライフスタイルのすすめ | |
著者は、「里山ネットあやべ」の事務局員で、「半農半X」の生き方を故郷の京都府綾部市にUターンして実践している。 「半農半X」とは、要するに田舎で自給農をしながら、自らが取り組みたい社会的起業に取り組む生き方のようである。兼業農家の生業スタイルとは異なる。本書は、通常の田舎暮らしの入門書でもなければ、スローライフの具体的な実体験などを紹介した書でもない。 「半農半X」の生き方は、古今東西の文学や思想に広く触れて達した境地のようだ。深い思索が精神生活や人生をよりよいものにすることは間違いない。しかし、あえて言うが、「哲学」があっても食っていけないのも、また「哲学」がなくとも、どっこい人は生きているのも現実である。 おそらく、本書は田舎暮らしやスローライフなどのコンセプトやその社会現象自体に関心がある人には、好感を持って受け容れられると思う。しかし、自分や家族が自活できるだけの「X」が見つからなくて悶々としながら、この書に期待して手にした人には、物足りなさを感じさせるだろう。また、思想・理性より、感覚・感性を重んずる人などは、読破にかなりの根気を要することだろう。 |
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『田園サバイバル備忘譚』 | |
田舎暮らしの「現実」を小説のスタイルで描き出した本 | |
この本は、約1年間に及ぶ田舎暮らしの取材を下地として執筆された中編4部作である。 1作目は、移住後ミニトマト栽培をしている夫婦2人が小高い丘の上に枕木ハウスをセルフビルドして喫茶店を開業するまでの話。「新参者」と地元で客商売を営んできた人たちとの関係の難しさが伝わってくる。 2作目は、商社を早期退職して移住し、鶏卵と野菜を産直方式で販売している主人公の家族が、地元の地縁社会に受け容れられていく過程を描く。「新参者」を来訪者としては、やさしく受け容れてくれても、地域共同体の構成員としては容易に受け容れてはくれない社会構造が浮かびあがる。 3作目は、Uターンしてみかんの無農薬栽培を始めた主人公が、研修に来たアイルランドの女性と家庭を築き、また仲間も増えて経営規模を拡大していくが、害虫の大発生を機に内部対立で低農薬に切り替える妥協を余儀なくされ、それを拒否した妻が離婚して息子と家を出て行く。自然相手の仕事の過酷さを突きつけられる。 4作目は、廃校で木工房を営む夫婦。家具を作る夫は、副業で山仕事にも出ている。妻は玩具作りをして家計を助けているが、何ぶん資金繰りが厳しく、生まれてくる子のためにも木工ワークショップのできる民宿の経営を考えるが・・・。 田舎暮らしの本の内容は、サクセス・ストーリーであることが求められる。しかし、成功者はリスクを負っていることを忘れてはならない。移住を決行しても、夢破れて去った人も少なくないはずだ。しかし、このような例が公開されるケースは、期待できない。 本書は小説のスタイルをとることで、失敗例や過酷な側面を読者に提示することに成功している。テーマに照らせば、小説とはいえそこまで書かずとも・・・という感じの房事の描写があるが、そのページより「あとがき」の文をしっかり読んでおきたい。 |
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『田舎暮らしの水彩画 川と緑に囲まれて健康スケッチはじめよう』 | |
「田舎」を住まいとし、かつライフワークのフィールドとしたライフスタイルをつづる | |
著者は、TBS系「まんが日本昔ばなし」など、長年テレビや映画の美術を担当し、1980年からフリーの画家として児童文学の挿絵や絵本を手がけ、水彩とバステルを用いた風景画を描き続けている。 この本は、筆者が埼玉県の武蔵嵐山(らんざん)に移住し、田舎暮らしを始めたのを契機に描いてきた水彩画の数々をコメントを加えながら紹介している。題材も民家・里山・道・川辺・駅・草花などさまざまで、昔ながらのどこか懐かしさを感じる風景が盛りだくさんである。後半は、水彩画へのいざないとして、画材や構図の取り方、描法のプロセスを紹介しながら、さまざなま場面の描き方などを解説した水彩画の入門的内容となっている。 一枚一枚の絵が大きく、コメントに目をやりながら絵を眺めてページをめくっていくと、著者の住む地域の魅力や四季の移ろいなどがよく伝わってくる。それにつけても、絵心ある人の水彩三昧の生活、何ともすてきな田舎暮らしである。 |
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