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2.田舎移住体験記 (2005〜) http://inakalife.net/ | |
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『田舎暮らしはじめました〜うちの家賃は5千円〜』 | |
和歌山県の山村で古家を借りて始めた田舎暮らしを漫画で描写 | |
著者は京都出身で、40代前半の女性漫画家・イラストレーター。現在は京都市郊外在住。東京の賃貸住まいを脱出して夫婦で和歌山県の山村の借家に引越し、4年ほど田舎暮らしをした体験をまとめた本で、表紙が「漫画」だが、中味も漫画である。 「第1話 うちの家賃は5千円」、「第2話 しぶちんお引越し(前編)」、「第3話 しぶちんお引越し(後編)」、「第4話 田舎暮らしはじまる」、「第5話 山笑う」、「第6話 虫のモンダイ」、「第7話 肥のモンダイ」、「第8話 田舎のお付き合い」、「第9話 ネコが来た」、「第10話 知られざる和歌山弁」、「第11話 ウワサのモンダイ」、「第12話 ネコ事件」、「第13話 都会に近い田舎へ」の全13話の構成で、間に写真のページもあって、リアルなイメージも湧きやすいつくりだ。 各タイトルからもうかがえるが、理想やイメージ通りにはいかない田舎暮らしの現実を、大げさにではなく、おもしろおかしく漫画に仕立ててある。田舎暮らしの「苦労」と「喜び」の一方に偏ることなく、実際の生活の様子がそのままに伝わってくる。漫画とはいえナンセンスさは感じられず、そこからうかがえる田舎暮らし体験は、活字の田舎暮らし体験記を読むのと比べて遜色ない。 現役世代の夫婦二人だと、困難や苦境に直面しても何とかなるというか、何とかしちゃっているあたりがなかなかおもしろい。アジア各地を放浪した旅の経験のなせる業なのだろうか…。 |
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『定年後は森でロハスに』 | |
ふるさと越後の山中を終の住処に決めた著者が豪雪地帯の田舎暮らしの愉しみを綴る | |
著者は林野庁を退官し、那須で「森暮らし」というものを始めた。「現役」時代は、北海道、東北、関東、九州などの森林管理に従事し、国際協力事業団(JICA)の活動でミャンマー・タイ・フィリピン・ケニアなどにも派遣されたようだ。 本書は全5章立てだ。「第1章 なぜ『定年後は森でロハスに』なのか」では、団塊世代の退職期のいまは世界同時恐慌に見舞われ、仕事や子育てを終えた中高年にとって都会の居心地のよいものではないという。また、都会に暮らす必要性は感じられず、「森暮らし」で自然の変化に「ときめき」と癒しを得るライフスタイルのへの転換を説く。 本編はあとで触れるとして、さらに「第5章 森の中のロハスの達人達」では、那須に移住してきた中高年夫婦を11組紹介している。有機農業、井戸掘り、家づくり、店やレストランの開業、ハンター、木工やリゾート型のスポーツになどをして暮らしている人たちだ。ゴルフ好きや愛犬家が多いが、著者の交流範囲によるのか、那須の別荘地移住者にはその割合が高いのか、今ひとつ判然としない。 加えて、これらは「森暮らし」というより、単なる別荘永住型シニア・ライフの事例集という印象だ。第1章では“「集落暮らし」ではない田舎暮らし”という意味で「森暮らし」を定義づけているようだ。しかし、本書には田舎暮らしの関係書籍、「都会暮らし」や「田舎の集落暮らし」などの理解において、部分を一般化する嫌いがあるように思う。 また、第5章は、ただ単に森や雑木林を敷地としているだけで、森自体への働きかけがメインの「森暮らし」という意味ではないようで、それを期待するとがっかりする。那須の別荘永住型シニアライフの事例集だと割り切って読む方がかなりすっきりするだろう。 第2〜4章の本編では、シニア世代のライフスタイルについて自らの考えるところやその実現の過程、日々の生活の様子など、著者のオリジナリティが反映された暮らしぶりがうかがえて興味深い。 「第2章 ロハスな森暮らしへの助走」では、森暮らしの場に決めた那須高原の魅力、自らの志向に合わせた家づくりやライフスタイル、退職前の新幹線通勤による週末那須暮らしの紹介だ。 「第3章 高原の森でロハスの実践」では、那須の自然の移ろいと四季折々の営みを紹介する。ゴルフ、菜園、ガーデニング、木工、炭焼き、キノコ栽培、燻製、スキー、乗馬、釣り、趣味の習い事、それらを通じた地域の人との交流、ボランティア活動などだ。また、買い物や医療の事情も紹介する。 「第4章 ロハスな森暮らしのノウハウ」では、森暮らしの適性、夫婦の合意づくり、土地さがしの着眼点などを体験を交えて解説する。さらに、家づくりやカーライフ、薪ストーブライフのポイント、愛犬の効用からメンタルも含めたヘルス・ケアなどにも触れている。 |
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『遠藤ケイの田舎暮らしは愉快だ!』 | |
ふるさと越後の山中を終の住処に決めた著者が豪雪地帯の田舎暮らしの愉しみを綴る | |
この本は、『アサヒタウンズ』に2006年9月〜07年12月に著者が連載したコラムをもとに、書き下ろしを加えて一書にまとめられている。全体が春・夏・秋・冬の順に構成され、四季折々の植物、生き物、食事、生活用具などをテーマにした文が綴られ、その絵も描かれている。各タイトルは以下の通り。 【春】 フキノトウ タラノメ ゼンマイ 葉わさび ヒメサユリ スギ ミズ タケノコ 山の即席ジャム 竹ご飯 クロモジ テントウムシ 【夏】 フクンギャク 粘菌 アユ 石の卸し金 トノサマガエル ブッテ ハス ヤマユリ ダイズ イナゴ サルナシ カワエビ 【秋】 オニヤンマ カワセミ フクロウ そばの花 ハザ掛け つる編み カカシ モズクガニ ギンナン クリ サツマイモ アミタケ マイタケ マツタケ アケビ ブナの実 ヤマブドウ 大根干し スギゴケ 干し柿 クルミ マキ割り オトシブミ カマキリの卵 カラスウリ カメムシ 囲炉裏 【冬】 カヤの実 薪ストーブ ネズミ返し 動物の足跡 雪うさぎ 雪ダルマ ツララ 白鳥 デコイ ザル編み 照明 カマドのご飯 カジカ のっぺ カンジキ 著者は、新潟県三条市の生まれで、16歳で故郷を離れて東京に出た。その後、自然の中で、自然物から得た材料で手作りの暮らしをし、また日本や世界の各地を訪ね歩き、人々の生業や生活風俗を調査し、それを絵や文で綴ってきたという経歴の持ち主だ。40数年の歳月を経て、有数の豪雪地帯である故郷の山中を終の住処に定め、移住して10年になるという。 このような人の書く文章の内容は、単に田舎移住した人の書く田舎暮らし体験記とはひと味違う。その特徴は、少年期の原風景である自然の中での「遊び」や「食」の記憶、大人としてその自然と共に「生活」していくための知恵・技術・思考などが、ひとつのテーマの中で縦横無尽に展開されているところにある。その時間的な奥行きに加えて、著者にはさまざまな地域での見聞や体験の広がりがあるので、自ずと自らの田舎暮らしの舞台を相対化できていることもポイントだ。 日本有数の豪雪地帯で、(私の育ったところも山村の冬はこうだったと、小さいころ年寄りに聞かされたような生活ぶりとけっこう重なるものがあったが)冬は山中で文字通り冬ごもりをする、また入浴ならぬ「雪浴び」をする、今の人はちょっと口にしないような昆虫などを食してみるなど、読んでみたところでにわかに真似できそうもないことも多々あるが、この著者でなければ書けないような、知見あふれる魅力的な内容の文が綴られていて、興味が尽きない一冊である。 |
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『ほどほどに食っていける田舎暮らし術』 | |
徳島在住の脱サラ就農者が自らの20年に及ぶ自給自足的生活のありようを凝縮 | |
著者は50歳から脱サラして千葉県内で居所を変え、最終的に徳島に定着して自給自足的生活を営んできた就農者にしてライターだ。書名『…田舎暮らし術』を見たとき、いかにも実用的・実践的な技術をまとめた本を出すこの出版社らしいタイトルだと思った。反面、この著者はこの類の本をすでに数冊著しており、「何を今さら…」という気がしたのも、また実直なところだ。 しかして、読み進めていくうちに、やはりこの本は自給自足的生活のノウハウをまとめた本ではなかった。体当たりの就農、自給自足的生活の軌跡に加えて、地域の人々との交流のエピソードなども交えながら、いかに現住の地で生業を立て、生活してきたかをまとめた本だ。 さらに、その実際の生活のありようを形づくる著者の考え方、生き方にまで踏み込んだ内容となっている。つまり、単なる「術」を紹介した本ではないという点が、実にうれしい書名と内容の“ミスマッチ”であった。このような内容の本が、この出版社から刊行されたのは意外に思えた。 その内容の主たるメッセージは、金銭の有無や居所の都鄙(都会と田舎)が人生の豊かさを規定づけるのではなく、その人間の考え方、生き方が真の豊かな生活をもたらすということだと読み取った。考えてみれば、昔の農家などは、「貨幣経済」の部分は衣食住の生計を立てる一部分だったように思う。生計の大部分が貨幣を使った消費に依存している都会の生活、というよりも一般的な現代人の生活とは一線を画する生き方が、「ほどほどに食っていける」ことを可能にしていると言えるだろう。 本書は6章立てだ。第1章では、就農前後の試行錯誤の段階で、生産物に生産者・生産場所・生産過程の情報という付加価値を付けるアグリビジネスを展開した話題。第2章は、米・大豆・麦などの穀類生産に着手し、その加工品まで製造し始めた段階。醸造・養鶏にまで話題が及ぶ。第3章は、いわゆる害虫・害獣、また捕獲する喜びをもたらしてくれる昆虫・魚などの話題。食するとは「命をいただくこと」という重みを改めて感じさせられる。 後半は、農業色がちょっと薄まって生活全般への広がりのある内容だ。る第4章は、体験農業で自宅に受入れた人、近隣の住人、ちょっと足を伸ばして参加した会合で出会った人など、人との交流にまつわるエピソードやそこから得たことの紹介。第5章は、農耕の枠を超えた魚捕り、食品加工、薪を燃料にとりいれた暮らし、小屋の自作など、ひろく身近なものに手間を掛けて生活に活かす営みの体験談。第6章は、「小さな財布で悠々自適に」と題して、さらにさまざまな体験談を盛り込みながら、この本の主題となる自らの生活に対する考え方のありようがまとめられている。 自らはかく考え、こうしてやってきたということが、様々な体験とともにさらりとまとめられており、「生き方」について綴った本の割には、微塵の理屈っぽさも、妙な独善性も感じさせない。読みやすくて、新しい知見が得られ、すんなりと共感できる内容の多いおすすめの1冊だ。 |
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『過疎地で快適に暮らす。』 | |
「過疎地暮らし」という概念を提示し、その経験に基づき私見をつづる | |
著者は札幌の私大の哲学・倫理学の教授で作家・評論家。「田舎」と異なる「過疎地」という概念を設定し、「過疎地暮らし」の経験を紹介して、その実践をすすめ、さまざまなアドバイスを書いている。 「過疎地」とは、かつては人間の生活・生業があったが、その後捨てられて無人となった場所のことだという。都市から100〜200kmほどの距離の高台に1,000坪くらいの土地を得て、車を移動手段にPCや携帯電話を通信手段にして、都市でも、自宅でも働くというスタイルが理想らしい。 「田舎暮らしのすすめ」のような解説本は、その分野の取材量が豊富なライターや、物件仲介実績に基づく豊富な事例をおさえている不動産業者などが書いている場合が多く、このような場合は実例に則していて説得的である。しかし、この本は、残念ながら、「すすめ」られても鵜呑みにしていいものか、不安な部分が少なからずあるように思う。資料収集はインターネットでかなり充足するようなことが書かれているが、極端な例では行ったこともない房総の鴨川などをあげて、その良し悪しを論ずるなど、説得力を欠く記述もある。 また、論評もいささか主観的であり、例の鴨川で言えば、私は山派だと書いてから、観光地や海側に住むのはよくないというのでは、「海派」の読者にはついていけないと思う。南房の鴨川や館山は、沿岸と内陸それぞれに味わいがある。房総半島は、「里山」・「里海」が近接しているところに大きな特徴がある。台風などの時に波しぶきをかぶるようなところでなければ、その人の指向に合った場所に、生活に支障のないように工夫して居を構えればよいことだと思う。 著者が生活実践例として紹介しているのは、自らが住んだ三重県の上野と北海道の長沼の2例だ。この本の中では、この2つの土地での暮らしの話題が、北海道に飛んだかと思うと、また三重に戻ったりと反復があり、必然的に部分的な重複がある。読み手にしてみれば、どことなく煩わしい。生活体験記として、時系列に沿って親の世代の話、少年期、三重時代の話、現在に至る北海道時代の話という全体構成に編集した方が、かなり読みやすい。 その点で、この本は、「過疎地暮らし」のすすめというガイドブックとしてではなく、著者のライフスタイルや考え方、生活体験から得た教訓をつづった体験記として読むならば、大いに読む価値はあるし、参考にもなる。著者の生活観と、そこから来るライフスタイルは首尾一貫しており、「ほほう…、こういう考え方を持って、こんな場所で、こんな暮らし方をしている人がいるんだ…」というふうに、読者は興味深く読むことができるだろう。私自身は、40・50代は、次のステップに備えて、今の本業とは別の、もうひとつの仕事を身につける時期だという著者の考えに、大いに触発された。 |
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『馬頭のカバちゃん 田舎暮らし奮闘記』 | |
田舎で暮らすことの大変さと充実感がストレートに伝わってくるエッセイ | |
前著『会社を辞めて田舎へGO!』に続く、栃木県の馬頭町での田舎暮らしをつづった著者の第2作目にあたる田舎暮らしエッセイである。内容は、出版元の運営するポータルサイトに連載した「元プレジデント編集長の田舎暮らし奮闘記」が核となっているが、移住後の暮らしぶりが春夏秋冬の4章に分けて編集されている。 本書を読めば、「田舎暮らし」の「静寂」・「のんびり」・「脱世俗」などのイメージとは到底結びつかない暮らしが現実に展開されている様が手にとるようにわかる。全国の過疎の町村で問題となっている産廃処分場や自治体選挙への取り組み、地域の人との密接なコミュニケーションとそこから得たもの、生業や子育ての話題など、読む者を飽きさせない小気味よいテンポで多岐にわたる話題がちりばめられている。 中でも最も印象的なのは、中学入学を機に移住して転校し、高2になった息子のたくましい成長ぶりと環境適応性のすばらしさ、ロードバイクという共通の趣味を中心に交わされる親父と息子の心の通ったコミュニケーションである。さまざまな難題にぶつかり、それを1つずつ克服していく、決して楽ではない暮らしの中にあって、田舎に移住した著者が充実感・幸福感を味わいながら生活しているということがしっかりと伝わってくる文章であった。 |
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『僕たちの移住 廃屋からの家造り』 | |
本州→小樽→上士幌町と移住、牛舎をセルフビルドで自宅に改築 | |
発行元の「山猫工房」は、著者夫妻が主宰する北海道の素材を用いた素材を用いた楽器・染織品・木工品などを製作している。著者夫妻は共に本州からの移住者で、小樽で「民宿ぽんぽん船」を開き、北海道の旅の情報誌『なまら蝦夷』の編集と事務局の仕事に携わってきたが、大自然に囲まれた暮らしにあこがれ、道東は十勝支庁管内の上士幌町に2度目の移住を決行する。 この本は、その二度目の経緯にはじまり、セルフビルドで廃屋となった牛舎を改築する過程を詳細に紹介、広大な自然に抱かれたそのマイホームでの暮らしぶりなどもつづられている。 B5版128頁の本で、巻頭の8頁にはカラー写真が掲載され、また本編はモノクロだが、豊富な写真・イラスト・図面がほぼ前ページにわたって掲載されており、本文自体も読みやすい。40年間使われていなかったマンサード屋根の牛舎に再び生命を吹き込んだということ自体、諸手を挙げて絶賛したいが、このビルダー、ただ者ではない。 木工事は言うに及ばず、屋根に至ってはトタン板1枚から自らの手で板金加工を行い、設置した薪ストーブに及んでは、初めての鉄加工に挑んだ自作品である。 |
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『農家の嫁の事件簿 こちら北国、山の中』 | |
マスコミでも取りあげられた有名人気ブログの書籍化 | |
この本は、田舎移住というよりも、就職で岩手県に移り、農家の長男との結婚で同県の岩泉町に暮らすことになった女性のブログが書籍化されたものである。このブログのレビューは、Webサイト上だけではなく、マスコミでもなされているので、ここに書くことのできる目新しいことは何もないが、言われているように文章もさることながら、画像が独特のタッチで味わい深く楽しめるのが特徴である。この本でも随所にカラーの挿絵が載っていて、その気になれば一気に読み切れる本である。 同地で暮らす人、農家の人には書き留めるにも値しないあたりまえの日常なのだろうが、このブログ・本の魅力を支えているのは、文筆・画筆の表現力以前に、埼玉県出身で大学・大学院で環境科学を専攻し、岩泉町民俗資料室に勤務していた著者の経歴から来ているであろう「着眼力」・「観察力」であると思う。 田舎や農家、嫁の「いいとこどり」で、美化し過ぎとの批判(非難?)めいた評もあるようであるが、昔と今では「農家の嫁」の立場はかなり変わってきている。今現在の田舎が都会に出た者の原風景・原体験の「田舎」ままで時間が止まっていようはずがない。私はそれを盛岡に近い(たぶん著者の住まいよりも)隣県の郷里に帰省するたびに実感させられている。 また、田舎の農家であろうが、都会のサラリーマンであろうが、良いところと悪いところの二面性があるのは当然で、むしろ著者自身が自分の新しい生活の中で魅力や興味を感じたプラスの面を前向きに捉えて書き留め、自分で生活を一層楽しく充実したものに作り上げている姿勢に共感を覚える。この点も、このブログの「人気」や出版化を支える力となったのではなかろうか。 |
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『私の田舎暮らしと魚釣り マージナル・ライフの実践』 | |
米子在住の著者が生活実践を通じて「とる文化」の復権を説く | |
この本は、書名に「田舎暮らしと魚釣り」とあり、さして釣りに興味を抱かない人にしてみれば、あまり魅力的には感じられない本かも知れない。しかし、内容は単なる釣り三昧の田舎暮らし体験記の域にとどまらない広がりと深みを持っている。 本書は全273ページに及ぶハードカバーの本であり、その内容は、全10章立てである。1.マージナルライフと命名した自らの田舎暮らしを始めた理由、2.少年時代の原体験とその当時に釣りを教えてくれた父の「Iターン」を契機に、自らも大阪から鳥取県に「Iターン」するに至った経緯、3.移住後の休職活動や最初の移住地名和町から米子市に転居した経緯、4.田舎型の四季の海釣り、5.川釣り、6.雨や夜間をものともしない自転車での渓流釣りの魅力、7.山菜採りの実践と山菜の紹介、8.衰退しつつある「とる文化」の復権の主張、9.自然のリズムや維持管理・修繕の評価を再認識した消費生活の見直し。 要するに、この本は、現在は衰退しつつある、「里」の周縁部で営まれてきた狩猟・採集・漁撈などの「獲得経済」を中心に据えた生活実践を紹介している。著者はさまざまな次元において「周縁的」なものの持つ伝統的価値を見直した生活を「マージナル・ライフ」として実践している。 本書で著者の言うところの「とる文化」、すなわち「獲得経済」は、そもそも人類史の中で農耕・牧畜に始まる「生産経済」に先立つ最も原初的なものである。それが周縁的地位に追いやられ、その技法の伝承すら危うい現代の社会であるが、現代の私たちは「獲得経済」の営みが人類社会の「基層文化」であることを忘れてはなるまい。 万事につけて「ベース」の部分に「華」がないのは世の常とはいえ、自然と人間の直接の接点をなしてきた営みがもし完全に忘れ去られたとしたら、「繁栄」を謳歌している人間社会の存続は危うくなるのではあるまいか。著者の主張や実践は、いま田舎で暮らしているかどうかに関わりなく、「田舎育ち」の人で、同じような原体験を持つ人からは、かなりの共感を得られるように思う。 なお、本書は学術書のようなスタイルで、巻末に注釈が一括してまとめられているが、引用の出典の注釈はともかく、用語解説の注釈については、逐一ページをめくり返すのが煩わしかった。脚注・割注の形式でページ内におさめてもらえると、読者としてはありがたい。 「釣り」にさほど興味のない人にも、一読をすすめたい田舎暮らしの実践書である。 |
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『素朴だけでない 田舎暮らしの馴染み方』 | |
信州のリゾート地をフィールドに「田舎」の実像とその変遷を多面的に描写 | |
著者は、東京生まれで、1963年以来信州と関わってきた経歴を持つ山荘経営者であり、あわせて地域イベント等のプランニング、地域社会の研究、執筆・講演活動などを行ってきた。ひろく日本社会全体や地域社会に関心を寄せてきた視点と、リゾート地の「田舎」で生業を営み、生活してきた視点を併せ持った者のみがなしえる分析と描写が、本書の真骨頂と言える。 本書では、揺らぐ「時速4キロの文化」と台頭する「時速50キロの文化」をキーワードに、1960年代以降の信州のリゾート地の産業や文化、情報などの実像と変遷を克明にたどり、その「田舎」に対する都会人の認識・関心・関係などの変遷も巧みに描き出している。実地に見たフランスの山岳リゾートとの対比も効果的である。 田舎での生活経験がある者には自明のことだか、この本を読むと、田舎には田舎の経済・政治の営みが脈々と続いているとともに、その営みの変遷が決して日本社会の大きなうねりから隔離されたものではないことがありありとわかる。学生村、スキーブーム、モータリゼーション、情報化社会の到来、長野オリンピックなどが、信州の「田舎」にどのような作用をもたらしたのかが鮮明に浮かび上がる。 なお、第6章「田舎ブームを考える」は、現今の田舎現状を踏まえた、田舎移住に関心がある人へのメッセージである。しかし、この本はタイトル通りに、「田舎暮らしの馴染み方」の具体的な方策を解説した本ではない。余談であるが、評者から見れば、『素朴だけでない 田舎と田舎暮らしの実像』といった類のタイトルが内容に照らしてふさわしいように思う。だが、田舎暮らしにあこがれる団塊世代のリタイア組にひろく売り込むには、いかにも売れなさそうな書名だ。 それはともかく、リタイヤ世代のみならず、田舎移住、とりわけ田舎起業を考えている、特に子育て世代の人には、ぜひ一読をすすめたい。 |
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『田舎暮らしの徒然草』 | |
IT起業の創業社長が退任後に移住先の湯河原で執筆したエッセイ集 | |
著者は、東証二部上場のIT企業「アグレックス」の創業者で、社長退任後に湯河原に移住し、ビジネス書や趣味に関する本を多く執筆している。この本は、著者のHPに掲載した文章や新聞の読者欄への投稿、雑誌に執筆した文章などをまとめたエッセイ集で、全部で70タイトルほどある。 その内容は、湯河原の自然の中で触れる動植物の季節ごとの移ろいや農業・食生活など、田舎での暮らしや自然に関するエッセイも含まれているが、ビジネスや政治・戦争と平和の問題・禁煙と嫌煙など多様なテーマに及んでいる。湯河原を舞台にした田舎暮らしについての「徒然草」ではなく、田舎暮らしをしながら執筆した「徒然草」といった感じである。このように曖昧な書名なので、田舎暮らしに関するエッセイがたっぷり詰まった本だと思って買うと、がっかりすることだろう。 |
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『田舎暮らしはつらかった。』 | |
東京から高知へのUターンで受けたカルチャー・ショックを活写 | |
飼犬との住まいを探して東京を離れ、高知の実家の離れで田舎暮らしを始めた女性ライターのエッセイ。Uターン後も、SOHOスタイルで仕事を続けている。 田舎ならではの職業に従事しない移住者にとっては、得たものよりも、都会を離れて捨てたものの重みの方が強く感じられるようだ。一歩外に出れば仕事でも、生活でも必要なものや情報が何でもすぐ揃う便利さは、田舎移住を考える多くの人の後ろ髪を引いていることだろう。その上、いざ移住すれば、未体験のさまざまな事件が起こるのだ。 それでも、著者は移住した不安や後悔が怒濤のように押し寄せてくる段階を乗り超えてから執筆しているので、「山」の険しさを描写しながらも、ゆとりが感じられる。また、文の流れも軽快で読み易い。 身の回りで起こったサプライズがこれでもかとばかりに綴られているが、中でも「都会人、田舎で激太り」の節は、著者が何はさておき一番の大問題と認識していたことのようで、心の叫びがストレートに伝わってくる渾身の描写となっている。 |
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『田舎暮らし落第しちゃいました』 | |
マンションを手放し古民家暮らし、のはずが1年半で出戻りに・・・ | |
長崎の「超田舎」育ちの主婦(パートタイマー)の田舎暮らし顛末記。小4の長女、小3の長男、小1の次女の3児の母で、夫は深夜出勤で午後帰宅のトラックドライバー。夫婦で「田舎暮らし」・「大家族奮闘記」などの番組が好きだが、ある日突然に夫が引っ越そうと言い出し、夫の勢いに乗って3週間弱で引越を敢行。福岡県久留米市の中心部にある購入7年目のマンションを出て、佐賀県鳥栖市のはずれの古民家で田舎暮らしを始める。 マンションのローンと古民家の家賃をともに支払い、新生活のためのさまざまな買い物をして始めたその田舎暮らしだが、1年半後には買い手がまだつかないでいたリフォーム済みの元のマンションに逆戻り。著者の1年半の悪戦苦闘とその幕引きの顛末を綴った体験記である。結末のわりには、漆黒の闇のような暗さはなく、どことなく薄日が射しているような印象を受けるのは、再起の余地がある若い夫婦のせいだろう。 全63ページの薄い本で、飾らない口語体で綴られているので一気に読める(装丁をもう少し控えめにして、もっと低価格で出版して欲しいくらいである)。1年半の悪戦苦闘の内容や挫折の引き金、さまざまな要因などをここでひとつひとつあぶり出すような野暮なことはしない。田舎暮らしにある程度の勇気は必要とはいえ、思い立ったが吉日とばかりに即行動に走る傾向のある人が、田舎暮らしを思い立ったら一読をおすすめしたい本だ。 |
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『旅のつづきは田舎暮らし』 | |
福島での定年田舎暮らしと地域の現状、環境保全への取り組みなどを綴る | |
著者は元朝日新聞記者で、「転勤族」だった現役時代を経て、退職後は、田舎暮らしの取材で訪ねて気に入った福島県の田島町に居を構えた。「旅のつづき」とは、退職後の人生のことだ。 初めて稲作・畑作に挑んだ顛末、どっさり降る雪とのつきあい、地域社会の介護・医療などの現状、地域行事の楽しみやその意義などが、とても読みやすい文で綴られている。また、この本は、単に田舎の自然環境を讃美し、そこに住む自分の幸福なライフスタイルを紹介することだけにはとどまらない。自ら気に入った田舎の自然環境が行政当局や業者などの公共事業や乱開発で無惨にも破壊されていることに警鐘を鳴らし、また真にふるさとの自然環境を保全し、活用しようと活動している人々の努力と協力の成果を紹介している。 田舎暮らしをしている著者本人も同じ立場に立ち、自ら健筆をふるうことで、環境保全に貢献している。あこがれの田舎暮らしに「もれなく付いてくる」ものと思われがちなすばらしい自然環境も、住人による保全の努力あってこそだということを強く思い知らされた。 |
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『朝霧高原〜風と暮らす』 | |
富士山麓(静岡)でのログハウスづくりや農業がくれた生きる喜び | |
国際ラリースト・エッセイストでテレビ・ラジオ出演や公演等で幅広く活動している著者が、産経新聞に連載した記事を単行本化した本である。 ひとつところに住まうことを、縛られたくないとして敢えて拒んできた著者が、朝霧高原の魅力にひかれ、仲間の協力を得てログハウスを建築し、引っ越したときに感じた心の安らぎ、また新規就農して合鴨を活用した無農薬の米作りに取り組む中で体験した作物・動物・大勢の仲間とのふれ合い、そして別れなど、話題は盛りだくさんである。 本書は、10年間に及ぶこれらの活動をどのように実践してきたかという目に見える営みよりも、むしろそのスローな営みを通じて得られた心の反応や変化がストレートに綴られている点で興味深い。その点で、この本は朝霧高原暮らしの体験記というよりも、著者10年分の人生記であり、心の軌跡を綴った本である。セルフビルドや就農などへの取り組みが、人の心と人生にどのような喜びをもたらしてくれるかを味わって読みたい。 |
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『里山 手のりアマガエルと暮らして』 | |
三重の古民家に引っ越した女性による里山暮らしの苦労と尽きない魅力 | |
病気療養のために早期退職した女性が引っ越した先は、三重県伊賀市の10年以上空き家だった築年数不詳の古民家。この本は、そこでの生活体験をつづったエッセイである。 小さなアマガエルとの出会い、ヨモギご飯などのローフードづくり、藁灰づくりへの挑戦、満天の星に見入る夜のひとときなど、病んだ心身を癒してくれた里山暮らしの魅力を伝える話題は尽きない。 その一方で、雑草との格闘、大風の脅威、ムカデやヘビなどとの遭遇、家の中に入ってくるさまざまな虫や、ニンジンなどを植えた菜園を荒らす猿の出没など、里山暮らしの大変さもつづられている。 自然と共存して生活していく里山暮らし・古民家暮らしのよさとともに、その大変さもつづられたエッセイとして、一読に値するだろう。地元の人のアドバイスを得て、里山暮らしの大変さを受け容れながら、日に日にたくましさを増していく、著者の前向きな生活姿勢に注目したい。 |
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